本音で語る日本の社会

日本で話題になっている、様々な最新テーマについて、本音で批判します。

新卒一括採用に潜む問題は、あくまで採用時期が問題なのであって、廃止すべきシステムでは無い

どうも、チュインです。

 

今回は新卒一括採用制度の是非について語っていきます。

新卒一括採用はご存知の通り、企業が新卒の採用を大学4年時に一斉に採用する動きのことを指します。そして、大学4年以前に行われるインターンシップ制度では、なるべく本採用に直結しないような取り組みを行っています。

 

この新卒一括採用には様々な批判があります。

新卒時期を逃すとなかなか採用してもらえないとか、

学業の妨げになるとか、

実質的にインターンで青田買いが行われている中でもはや意味がないとか、

優秀な人材なら、早めに採用できるような多様性のある採用制度にするべきとか、

いろいろありますね。

 

しかし、本当に新卒一括採用制度を捨てて、本当に自由な採用制度にしていいのか?

 

私は疑問を感じます。

 

新卒一括採用をやめるということは本質的に学生にメリットがありません。

まず、採用時期において既卒の学生や社会人が新しい競争相手として登場します。

今までなら、同じ新卒の間でのみ競争をすればよかったものが、既卒や社会人との競争が加わることでより熾烈な競争の中で就職活動を行うことになります。

ただでさえ、大企業の内定は狭き門なのに、これ以上競争が激しくなれば

学生にとっては無意味でしょう。

 

実際に働いた経験がなくて本当に行きたい業界や企業が見つからないという声があります。だからこそ、1回どこかで働いてみて合わなかったら気軽に転職できる社会を

作り、そのための解雇規制をなくし、新卒一括採用を無くすべきという意見があります。

 

しかし、これは言うほど簡単ではありません。学生と違って、社会人経験のある人は、必ず面接で具体的に何ができて、どうやって実現するかを論理的に説明できないといけないのです。

学生は社会人経験がないから熱意などを重視されますが、社会人出身は具体的なスキルと目標意識が求められます。学生のように中途半端なありきたりの志望理由では、せっかく社会人の経験をしたのに、学生と変わらないし、ポテンシャル無さそうって企業に見られるだけなんです。

これで、本当に自由に転職できると思いますか?

 

結局、今の新卒一括採用の諸問題は開始時期をずらすだけで十分な効果を発揮します。

具体的には、

① 開始時期を大学卒業後の1年間に設定し、完全に学業と切り離して100%就活に専念できる環境を作ること

:新卒の入社時期を卒業1年後の4月に設定すれば、青田買いも抑制できます。早めに採用したところで、入社が卒業1年後なら企業としては早めに採用した意味がありませんし、その間にいくらでも内定辞退もできるので、企業が早めに採用活動を行うメリットを抑制することができます。

 

② インターン採用の解禁を行うこと

インターン採用の解禁をすれば、学業の妨げになるのでは?と思う方もいると思いますが、心配無用です。卒業もしていない人を正社員として採用する企業はほとんどありませんし、学生の身分でも採用したいと思われるような人は、天才肌のごく一部にすぎないので、一般の学生とは縁のない話です。ただ、企業側にとっても天才肌の人なら早めに採用したいと思うはずなので、これは企業側を配慮した施策になります。

:なので、普通の学生は自由に学生生活を謳歌すれば大丈夫なのです。

 

新卒一括採用は、ごく普通の学生でも相対的に低競争で就職できるチャンスを担保しています。この制度を無くすということは、完全競争システムに移行するということであり、学生にとってはメリットがありません。

むしろ、今まで以上に大企業に入りづらくなるだけなのです。

学生のみなさんは、それでいいんですか?ということなんですよ。結局は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加計学園問題のどこが問題なのか。答えは、民主主義の根幹を揺るがしかねないから。

どうも。チュインです。

 

今回は加計学園問題の本質について解説していきます。

 

今、政治の世界では上記の加計学園問題で大きく揺れています。

具体的には、学校法人加計学園愛媛県今治市における 岡山理科大学獣医学部新設を計画をめぐり、内閣府文部科学省に圧力を掛けてい たとされる問題である(wikiより)

 

中には、この問題に関して、どこが問題なのかと批判する人がいます。

他に重要な政治案件がたくさんあるのに、なんでこの程度の問題に固執するのかと。

 

そもそも、内閣が役所に指示をするのは当たり前で、その当たり前の過程の中で

行われたものなのに、どこがいけないんだ!という意見ですね。

 

しかし、この反論はまったくの見当違いになります。

この問題の本質が理解できていない理由は、そもそも民主主義の精神が

本当の意味でわかっていないからです。

 

民主主義とは、国民が主権者であります。

そして、役所は国民の公僕として働くことが義務付けられています。

つまり、役所は国民に対して、最大限のサービスを公平に行うことが求められます。

もちろん、予算などの制約はありますが、基本的に特定の国民を優遇するようなことは

してはいけないのです。

ましてや、政治の中枢である内閣府が特定の個人のために、便宜を図るということは

ありえないことなのです。

 

特に、獣医学部新設のような、公共財の創出は国民一般に影響する事案であり、

その公共財の創出にあたっては、国民への利益を基準に判断しないといけません。

間違っても、「身近な人」のために便宜を図ることというのは、許されません。

 

特定の個人の利益のために政治家が圧力を加えることというのは、

基本的に独裁主義と変わりません。

国民一般への利益最大化のために、政治家が動いたわけではなくなるからです。

 

だからこそ、野党は、他の法案の審議を遅らせても、この問題の解明に

力を入れるわけです。その審議の方法は別にしてもです。

 

他のどのような法案も、民主主義の根幹を崩しかねない加計学園問題には、

遠く及ばないということです。

 

この基本的な原理がわからないというのは、

民主主義のために戦った経験がそもそも日本人には無いのが原因です。

そもそも、民主主義はアメリカによってもたらされた思想であり、

日本が自主的に勝ち取った思想ではありません。

だからこそ、日本人は民主主義の価値がわからず、ただ単に法律を守ればいいという、

表面的な法治主義に価値を置くことになります。

 

つまり、何のために法律があり、その法律は民主主義の精神とどう関係するのかが

感性としてわかっていないのが最大な問題です。

 

まぁ、今の野党がそこをわかっているからこそ、与党を批判しているかについては、

疑問符が付きますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飲食業界に迫る人手不足。でも、その解決策は意外とシンプルである理由。

どうも、チュインです。

 

今回は飲食業界における人手不足問題について語っていきます。

飲食業界は今、人手不足が深刻でなかなかアルバイトを採用できず、

一人当たりの業務負担が大きい問題が取りざたれていますよね。

 

時給を高くしても、飲食業界の仕事のキツさが世に知れ渡ってしまい

なかなか人が集まれなくなりました。

特に、規模の小さいところや地方の飲食店は、それほど時給を高くできる余裕も

無いので問題は深刻です。

 

この問題に対して、業界では様々な生産性の改善を図っています。

ITソフトウェアの導入で仕入れ業務の一本化を図ったり、調理の自動化を図ったり、

セルフサービスを導入したり、などなど。

 

実に様々な取り組みを業界内外で行っていますが、いずれも抜本的な問題解決には

結び付いていません。

 

なぜでしょうか。

 

それは、本質的な構造的問題に気付いていないからです。

上記の取り組みは所詮ミクロ的な取り組みであって、構造改革を伴うマクロ的な

取り組みではないからです。

 

序論が長くなりました。

要は、飲食業界の人手不足問題の本質は、「店が多すぎることにつきる」ことです。

 

ぶっちゃけ、店の数、多すぎると思いませんか?

https://www.vorkers.com/company_list?field=0068&pref=&src_str=&sort=1

たとえば、上記サイトでは飲食業界の企業数だけで、2119件もあります。

大手のチェーン店だけでもこのぐらいの数です。

しかも、町中の居酒屋とかの数も含めたら、尋常ではない数の店があるわけですよ。

 

日本は人口減少社会であり、これから人口が少なっているのに、

これだけ店の数が多かったら、そりゃ人手不足になりますよね。

また、これだけ店が多いということは、その分競争も激しいので、

当然コスト削減競争も激しくなり、自然に人件費の抑制に繋がります。

そうなれば、ますます人を採用できなくなる。

まさに、悪循環です。

 

なので、本当に人手不足問題を解決したいのであれば、

業界大再編しかありません。

一つあたりの企業の規模を大きくして資本力を増強させます。

そして、その資本の増強から、無駄なコスト削減競争を避け付加価値の増大に

経営方針を切り替えることが求められます。

利益率が上がれば、その分設備投資や時給を上げることもできます。

 

つまり、業界を寡占化していく方向に持っていくことが必要なわけですよ。

 

実際、いろいろなチェーン店がありますが、それぞれの味の違いなんて

たかが知れてます。

外食産業の仕入先は安い海外の材料を扱っていることがほとんどで、

実際に盛り付けするのもアルバイトの人がやるわけですから、大した調理も

していないわけです。

もう、ほぼインスタントみたいな感じです。

 

よって、商材が似ている大手のチェーン同士で合併や事業再編を行って

料理の質、設備の質、材料の質を上げ、1社あたりの収益額を増やしていくことが

求められます。

1社あたりの収益額があがってはじめて、人件費に投資する余裕が生まれるわけです。

つまり、市場自体を競争過多のレッドオーシャンから、寡占競争のブルーオーシャン

切り替えるような、大胆な構造改革が必要です。

 

これができなかったら、どんなに効率化を求めてもいずれ限界を迎えます。

 

まぁ、これを実現するには経営者の経営判断次第なので、やるかどうかは

彼ら次第です。

ということは、人手不足問題の本当の原因は経営者にあることになるので、

ある意味自業自得とも言えますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

被爆者に対して「死ぬほどでは無いですよ」という言葉は、正しいか?

どうも、チュインです。

 

今日は、朝日新聞デジタルからこのような記事がありました。

作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝:朝日新聞デジタル

 

茨城県大洗町日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで、ウランプルトニウムが入った保管容器から放射性物質が漏れて作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、このうちの1人で50代の男性職員の肺から、2万2千ベクレルプルトニウムが検出されたと発表した。暫定で1年間に1・2シーベルト、50年で12シーベルト内部被曝をする値で、過去にこれほどの内部被曝をした例は、国内ではないという。原子力機構は「急性の放射線障害が出るほどではない」としている。」

 

また、

原子力規制委員会の伴信彦委員は7日の定例会で「2万2千ベクレルの検出は半端な状況ではない。命に関わることはないだろうが、軽微なものではない。作業の状況が適切だったか確認する必要がある」と問題視した。」と記事には書かれている。

 

上記の委員によるコメントは、内部被曝後に状況を調査した上での発言でしょう。

つまり、客観的な立場で発表したものなので、一見問題のないコメントに見えます。

 

ただし、このコメントは、世間に対して内部被曝しても、命に別状はないという刷り込みを行うことにつながりかねません。

 

実に、この記事をシェアしている某メディアサイトのコメントには、この言葉を鵜呑みにして事故の対策や防止が大事なのであって、言い方は問題ないと書かれている。

 

私は、このコメントを読んで失笑しました。

 

まさに、社会性が欠如した人間が言いそうな言葉です。

 

たとえ、内部被爆の結果、直接死に至ることにならなくてもそれは重大な被害になります。被爆によって遺伝子レベルで変異が起こりますし、そこから子供を産んだら遺伝子に異常のある子どもが生まれる可能性が高くなります。

 

つまり、もともと平均寿命80歳ほどで生まれるであろう人間が、生まれながら難病を持って長く生きられなくなるのです。

また、健康でいられる期間が仮にもともと30年あったとすると、内部被爆によって10年や20年に縮まることも十分あるわけです。

 

このような人間の体を蝕むことにつながるのが内部被曝であるのに、目の前で即死にならなければ命に直接かかわるものではないという話は、まさに失笑ものだということです。

 

製造業の工場では労災で手や足を失う人が少なくありません。

彼らは命がなくなったわけではありませんが、健康な体として生きる命はなくなったのです。にもかからわず、軽々しくも「死ぬほどのものではない」と言えるでしょうか。

 

そういう問題ではないということも理解できないんでしょうかね。

 

「死ぬ」ことだけが、命ではありません。

健康な体で生きること、健全な精神で生きることもまた、命です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の表現の自由を尊重しているようにみえて、実は自分の国が一番大事な利己的人間たち。

どうも。チュインです。

 

今回は、形だけ表現の自由を唱えるも、実は自分の主義主張に反した意見に

対しては、拒絶反応をするような、偽善者たちについて語りたいと思います。

 

この間、国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は日本と韓国との

慰安婦合意についてその正当性を疑問視し、再合意に向けての提言を行いました。

 

このことに対して識者たちは猛反対し、国連からの外圧だの、

第3者に言われる筋合いはないだの、特定の国に向けて発言することは不公平だの

あらゆる不満が出ていました。

実際にコメントを出せるようなニュースサイトのコメント欄を読めば、だいたいそんな感じです。

 

一方、つい最近ですが、国連事務総長が日韓合意に「賛意」を表明したとして、

大きくニュースが取り上げられました。このとき、識者は手のひらをかえて

激烈な支持をしたわけです。

 

さすが、国連の事務総長だの、わけのわからない何とか委員会とは違う!みたいな。

 

私はこれを見てこう思いました。

 

これは、相当質の悪い人間だなと。

 

要は、外圧だのなんだのと批判したものの、自分の主義主張に迎合するような

発言に対しては受け入れ、その反対の意見に対しては完全なる排斥行為をします。

 

まさに利己的で、偽善者の標本というべきものです。

 

そもそも、外圧であれ何であれ、とある国にこのような勧告をすることはある意味

当たり前のことです。別に日本だけが特別扱いされる理由も無ければ、世界は民主主義の世界なので何を主張しても勝手です。

つまり、日韓合意見直しという意見そのものは、尊重されるべき存在なわけです。

そうでなければ、見直し不要論自体も尊重される資格のない意見になります。

 

当たり前ですよね。

 

国家間の合意だから、干渉するなと言う人もいるでしょうが、国連という組織に

関わっているかぎり、そんなことは言えません。そんなに嫌なら国連から脱退すればいいのです。別に、国連に残ってくれって誰も頼んではいませんから。

 

また、国家間の合意はあくまで合意であって、合意そのものが永続的に存在することはありません。人類歴史は数千年に及ぶものですが、いったい現在の様々な国家間の合意のうち、100年以上守られている合意がどれほどあるというんですか。

 

合意自体がたとえ法律として定められたとしても、その法律にしたがうかどうかなんていうのは、誰も強制できないわけです。

強制すれば戦争になりますからね。一般の人とは違うんですよ。

 

この辺の理解がないと、馬鹿正直に合意文だけ取り交わせば未来永劫守られるだろうという、バカな発想に落ち着くだけです。

 

そんなに外圧が嫌なら、こうした国際的組織から完全に脱退して一人で生きていくしかありません。

自分の主義主張を通したいなら、その分相手の主義主張も受け入れなければならない。

それが表現の自由の正体です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民主主義は正しい人を指導者に選ぶシステムではない

どうも、チュインです。

今日は、少々手短に民主主義による指導者選別システムについて

語りたいと思います。

 

 

最近は、トランプ大統領、フランスのルペンなどを極右とか、ポピュリストなどと

言う人々が非常に多いような印象があります。

特に、知識人を中心にしてそのような論調が広がっている印象ですね。

 

では、最も民主主義と比較される概念であるポピュリズムについて語りましょう。

 

ポピュリズム(英: populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用し て、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである。(wiki

 

ポピュリズムの概念は上記の通りです。これは、本当に国や国民を正しい道に

導かせるためのものではなく、ただ単に、一般大衆にうけるような政策を中心に

扇動するものだというのが、一般的な解釈です。

 

しかし、本当にそうでしょうか。

民主主義(みんしゅしゅぎ、英: democracy デモクラシー)とは、国家や集団の支配者が 、人民(民衆、国民)である政体、制度、あるいは思想や運動。(wiki

 

民主主義は上記のように、国家の支配者が国民であり、国民が選挙を通して支配者を選別するシステムのことを指します。

 

つまり、基本的にポピュリズムであれ、民主主義であれ、国民が決めることについては

変わりありません。

 

これを言うと、たとえば、賢者が10人いても、11人のバカがバカな指導者を選んでしまうじゃないか!そうなれば、国はもちろん、世界も危うくなる!と、

言う人がいます。

 

たしかに、そうですね。その可能性も否定できません。その典型的な結果がヒットラー政権ですから。あれも、一応選挙で選ばれましたからね。

 

ですが、それがどうかしましたか?

 

そもそも、民主主義というのは、絶対王政への反対の結果生まれた政治思想です。

つまり、国民が選んでもいない人間が絶対的な権力を使うことに反感を抱いて、

国民が自ら指導者を選び、権力もある程度分散させるために、民主主義を誕生させたのです。

 

ただ、それだけです。

 

別に、最初から、正しい人間を指導者にすることが目的ではないんです。

 

そもそも、正しさとは何ですか?

万人が納得できる正しさなどありますか?

正しさは、所詮人々の価値観であり、価値観は人によって違います。

当然ですよね。生きてきた環境が皆違いますから。

 

にも、かかわらず、本当に正しい指導者を選ぶっていうこと自体が本当に

正しいと思いますか?

そもそも、客観的で合理的な視点での正しい指導者というのは、存在しないのです。

正しさそのものが、主観的なものですから。

概念として、成立しないのです。

 

なので、民主主義は別に正しい人を指導者にする政治システムではありません。

ただ、国民が指導者を直接選ぶために設けたシステムにすぎないのです。

 

よって、ポピュリズムとの区別も意味がなく、すべての大統領・首相はポピュリストになります。大衆によって選ばれ、大衆の利益の最大化を図り、大衆の感情や思いを代弁して実現させるために、存在しているから。

 

 

 

 

 

 

 

女子新入社員が妊娠して産休を取ることに抵抗感を持つ者は、典型的な嫉妬深い感情論者である。

どうも。チュインです。

 

今回は、女子新入社員が妊娠して産休を取ることに対する是非について

触れていきたいと思います。

 

問題の概要は、試用期間中に妊娠が発覚して上司に産休や時短勤務を申し入れたケースです。

上司は試用期間中の妊娠は解雇ケースになりかねないといい、女子新入社員はそれは不当だといってトラブルになるケースがあります。

どの業界でも、ありえるケースです。

一般的にこのような場合、会社のほうが可哀想とか、新卒で妊娠するなんで非常識!という反応がまぁ、一般的かなと思います。

 

ですが、その反応は、本当に正しいですかね? というのが私からの問題提起です。

 

1.まず、会社側に大きな損害を与えたという反論に対して。

 

実際にこの手の問題が発生すると、仕事させるために雇ったのにさっそく産休になっては仕事にならないという声があります。

 

でも、それは甚だ可笑しな主張です。

 

そもそも、新卒であれ入社10年目以上であれ、子供を産んで産休に入る期間は同じです。産休のルールは年齢や勤続年数で変化するものではないからです。

新卒の産休期間が1年で、入社10年目の産休期間は半年みたいな逆差別みないなのがあるわけではありませんから。

 

産休で会社を休む期間が同じであるならば、むしろ新卒の時点で産休に入ってもらうほうが会社にとってはお得なのです。

なぜなら、入社10年目の給料を仮に500万だとして、新卒の給料を350万だとします。年間の話です。

では、同じ1年間の産休を取った場合、より大きな損失になるのはどっちかといえば、当然前者になりますよね。

 

新卒としての仕事や研修計画はどうなんだ!という人もいますが、

それを言うなら入社10年目ぐらいの人が産休を取った後の引継ぎの方が大変でしょ。

所詮新卒の仕事なんていうのは、付加価値も大したことなく、いくらでもあとからキャッチアップできるようなレベルです。

新卒が産休に入ったぐらいで仕事が回らないということは、会社自体のオペレーションに問題があるわけで、そもそも新卒に非があるわけではない。単なる責任転嫁です。

 

そんなに即戦力がほしいなら、そもそも中途で採用すればいいわけです。即戦力になるものを新卒採用で取ること自体がバカであるということです。

 

 

2.新入社員をやめさせることに対する是非に対して。

 

結論からいうと、やめさせたいならやめさせればいいです。

試用期間なわけで、雇用関係を継続するかどうかは会社の都合だからです。基本的には。これはしょうがない。

 

ただ、中にはそもそも新卒者を取るための様々な費用がかかったといって、不満を言う人もいますが、それなら、むしろ、辞めさせずに雇用継続をすべきです。逆にね。

 

なぜかというと、辞めさせたらその時点で新卒からのリターンが得られる機会が完全に消滅するからです。たとえ、1年目は産休で仕事ができないとしても、3年・5年も継続して働いてくれれば、結果的に試用期間でやめさせるよりは、大きなリターンを得ることができるからです。

 

いわゆる長期的な目線での投資戦略なわけです。

 

にもかからわず、単なる感情論でやめさせたほうがいい!という情けない人が多いのが今の社会のスタンダードなんでしょう。

 

まぁ、2年目になって急に仕事を向こうから退職願いをしてきたらどうするんだ!という反論があると思いますが、それを言うなら入社3年目ぐらいの人が産休取って退職したらどうしますか? 1年目であれ3年目であれ、どんみち会社にとっては、辞めてもらったら新卒として採用した意味がないわけで、そんあ重箱の隅つつくようなことは無意味でしょ。

 

3.結論は、女子新入社員が妊娠して産休を取ることに抵抗感を持つ者は、典型的な嫉妬深い感情論者であるということ。

 

産休に関しては、権利と義務の問題がよく話題に上がりますが、それらは同時並列的に発生するものであって、どちらかが先に発生するものではありません。

社員に対して長期の仕事を任せたいのであれば、相応する対価を払うのは当然のこと。

今回のケースでは、まだ新卒者が得る対価のほうが短期的により大きくなっただけの話です。

 

あなたの会社は、若いときだけ雇用関係を結んで、年を取って用が無くなれば首にする会社ですか? それなら、この新入社員に対して文句を言う資格はありません。

お互い様ですから。

 

他人が「一般的な人」よりも、「ちょっど早めのご褒美」をいただいたことに対する

妬みと気に食わなさが、早期産休者に対する抵抗感として現れるのです。