本音で語る日本の社会

日本で話題になっている、様々な最新テーマについて、本音で批判します。

被爆者に対して「死ぬほどでは無いですよ」という言葉は、正しいか?

どうも、チュインです。

 

今日は、朝日新聞デジタルからこのような記事がありました。

作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝:朝日新聞デジタル

 

茨城県大洗町日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで、ウランプルトニウムが入った保管容器から放射性物質が漏れて作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、このうちの1人で50代の男性職員の肺から、2万2千ベクレルプルトニウムが検出されたと発表した。暫定で1年間に1・2シーベルト、50年で12シーベルト内部被曝をする値で、過去にこれほどの内部被曝をした例は、国内ではないという。原子力機構は「急性の放射線障害が出るほどではない」としている。」

 

また、

原子力規制委員会の伴信彦委員は7日の定例会で「2万2千ベクレルの検出は半端な状況ではない。命に関わることはないだろうが、軽微なものではない。作業の状況が適切だったか確認する必要がある」と問題視した。」と記事には書かれている。

 

上記の委員によるコメントは、内部被曝後に状況を調査した上での発言でしょう。

つまり、客観的な立場で発表したものなので、一見問題のないコメントに見えます。

 

ただし、このコメントは、世間に対して内部被曝しても、命に別状はないという刷り込みを行うことにつながりかねません。

 

実に、この記事をシェアしている某メディアサイトのコメントには、この言葉を鵜呑みにして事故の対策や防止が大事なのであって、言い方は問題ないと書かれている。

 

私は、このコメントを読んで失笑しました。

 

まさに、社会性が欠如した人間が言いそうな言葉です。

 

たとえ、内部被爆の結果、直接死に至ることにならなくてもそれは重大な被害になります。被爆によって遺伝子レベルで変異が起こりますし、そこから子供を産んだら遺伝子に異常のある子どもが生まれる可能性が高くなります。

 

つまり、もともと平均寿命80歳ほどで生まれるであろう人間が、生まれながら難病を持って長く生きられなくなるのです。

また、健康でいられる期間が仮にもともと30年あったとすると、内部被爆によって10年や20年に縮まることも十分あるわけです。

 

このような人間の体を蝕むことにつながるのが内部被曝であるのに、目の前で即死にならなければ命に直接かかわるものではないという話は、まさに失笑ものだということです。

 

製造業の工場では労災で手や足を失う人が少なくありません。

彼らは命がなくなったわけではありませんが、健康な体として生きる命はなくなったのです。にもかからわず、軽々しくも「死ぬほどのものではない」と言えるでしょうか。

 

そういう問題ではないということも理解できないんでしょうかね。

 

「死ぬ」ことだけが、命ではありません。

健康な体で生きること、健全な精神で生きることもまた、命です。