本音で語る日本の社会

日本で話題になっている、様々な最新テーマについて、本音で批判します。

教育において最も重要なのは多様性の尊重ではない。どれだけ人のことを思って行動できるかがすべてである。

どうも、チュインです。

 

今回は教育において、最も教えるべきことについて語っていきます。

 

昨今の教育界では多様性の尊重が流行っていますね。

たとえば、

【麻布校長】「変人を受け入れる風土」が一流人を創る

上記のNews Picksの有料記事の中で、超一流を創る中高教育というタイトルで

麻布の教育方針の記事が掲載されました。

 

これは、尖った人材を輩出し、それぞれの個性を尊重した多様性のある社会を

目指した結果として生まれた、麻布の教育方針です。

 

ここでは、中高生活で勉強重視ではなく、他の様々な活動に参加したり、

自分たちで自立して何かを企画するような活動を行ったり、

いわゆる変な人を育てていくというコンセプトを出しています。

 

これらの教育方針自体は悪くはないですが、どれも教育の本質という点に

触れてはいません。

まだまだ、表面的な施策に留まり、本当に社会に必要とされる資質が要求されていない

 

教育の本質とは、人間が人間らしく生きるための、哲学を教えることです。

それは、人が人のことを思い、人のために生きることの価値を知り、困った人を放置しない、人を傷つけることはしないなどの、社会性を有する人間に育てることが

最も重要です。

 

多様性の尊重というのは、一見すると上記のいろいろな人を尊重することで、排斥しない社会づくりに貢献しているように見えます。

 

しかし、実際はそうとは言い切れません。

 

多様性を尊重したところで、根本的に人の痛みがわからないような人は、

結局個人主義に陥りがちになります。

「俺はお前のことを干渉しないから、お前も俺に干渉するな」ということなりえます。

 

一人一人の人間は皆違う存在で、お互いに認め合うべきだというのが、

多様性の本質でしょうが、別に認め合ったからといって、必ずにもそれが

人のために生きることに繋がるとは言えないのです。

 

自分が好きなように生きる?

自分が好きな職業について、好きな人生を送る?

 

いいでしょう。それ自体は悪くありません。

 

しかし、そこには「人が人のために生きる理由」が入っていません。

そして、人のために生きる理由は、本を読んで理解できるものでもないのです。

 

人は直接人と交わることで初めて人のために生きる価値がわかるのであって、

文字だけを読んで理解できるような性質のものではないのです。

 

まだまだ、教育に対する理念が浅い。

変人を受け入れる程度が多様性の尊重だというなら、それは表面的なレベルにすぎないのです。